松下の中村改革

松下の中村改革

松下の中村改革

現在の中村会長が社長をしていた2000年の6月〜2006年の間、2001年5月〜2004年8月まで綱島にある松下電器に出向していた。仕事自体はのほんとやっていたが、その間出向している連中の中で2/3程度が首になる事件があった。その間勤務していた松下通信工業が松下電器の子会社になったがそれほど大きな変化は無かったような気がする(出向していたからかもしれないが)。勤務していた当時は松下電器は好きな企業では無かった。毎朝、松下幸之助の経営理念を復唱し、朝・夕と社歌を歌っている会社だった。その様は私には宗教の様に写り、社員は没個性的でいる事を求められている様な気がした。
悪い時期(当時はすべての企業が悪かった気がするが)に松下電器に勤めていたと思うが、今では良いイメージを持っている。当時はSONY>松下電器だったが、良く勝ち組企業の筆頭と言われるまで持ち直したと思う。これも没個性的な社員が一丸になった結果だろうか。